「決算数値をまとめている時期に、自社株を買ってもいいのかな」「業績予想の修正が出そうだけど、家族に話しても大丈夫?」。決算を担当していると、こうした場面に必ず出会います。
この記事では、決算とインサイダー取引の関係を実務に沿って解説します。法律の理論は最小限にして、決算期の情報管理と社内ルールを中心にまとめました。
経理は「決算情報」という重要事実に一番早く触れる部署です。知らなかったでは済まないので、要点だけ押さえておきましょう。
- インサイダー取引の意味と、規制の対象になる人・罰則
- 重要事実の4つの種類と、決算情報の基準(売上高±10%など)
- 「公表」の意味(TDnetと12時間ルール)
- 決算期の売買禁止期間・事前届出・持株会の扱い
- 決算情報の管理の実務と、よくあるケース・社内体制
インサイダー取引とは?決算で経理担当者が対象になる理由


インサイダー取引とは、会社関係者が、上場会社の重要事実を職務などに関して知り、その公表前に株式などを売買することです(金融商品取引法第166条)。売買の動機や、利益が出たかどうかは関係ありません。
経理は、月次の数字や着地見込み、業績予想の修正案など、公表前の決算情報に日常的に触れます。決算担当者は社内で最もインサイダー取引のリスクが高い立場の一つと考えておきましょう。
規制の対象になる主な人は次のとおりです。
| 区分 | 主な対象者 | 経理での例 |
|---|---|---|
| 会社関係者(役員等) | 役員・従業員など。親会社・子会社の役員等も含む | 決算担当者、連結担当者 |
| 契約先などの関係者 | 契約を締結・交渉している先の役員等 | 監査法人、印刷会社、システムベンダー |
| 元会社関係者 | 会社関係者でなくなった後1年以内の人 | 決算情報を知ったまま退職した人 |
| 第一次情報受領者 | 会社関係者から重要事実の伝達を受けた人 | 決算の話を聞いた家族・友人 |
法律上の「役員等」には「使用人その他の従業者」が含まれます。契約社員や派遣社員も、実務上は対象になると考えて管理するのが一般的です。
罰則と課徴金
| 区分 | 内容 | 根拠 |
|---|---|---|
| 個人の刑事罰 | 5年以下の拘禁刑もしくは500万円以下の罰金、またはその併科 | 第197条の2 |
| 法人の罰金(両罰規定) | 法人の業務・財産に関する違反は、法人に5億円以下の罰金 | 第207条 |
| 没収 | 違反行為で得た財産は原則として没収 | 第198条の2 |
| 課徴金 | 違反者に課徴金の納付命令 | 第175条 |
| 情報伝達・取引推奨 | 利益を得させる目的で重要事実を伝えたり売買を勧めたりする行為も禁止 | 第167条の2・第175条の2 |
情報伝達・取引推奨の規制は2013年の法改正で設けられたものです。自分が売買しなくても、他人に教えたり勧めたりするだけで処分の対象になり得ます。
課徴金の額が数万円の少額でも、納付命令が出た事例があります。金額の大小は関係ありません。
インサイダー取引の重要事実とは?決算情報の基準


重要事実は、大きく4つに分かれます。
| 種類 | 内容 | 例 |
|---|---|---|
| 決定事実 | 会社の機関が一定の事項を行うと決定したこと | 株式の発行、自己株式の取得、配当、合併、業務提携 |
| 発生事実 | 会社の意思と関係なく発生したこと | 災害による損害、主要株主の異動 |
| 決算情報 | 売上高・利益・配当の予想値や決算値の大きな差異 | 業績予想の修正、予想と大きく異なる決算 |
| バスケット条項 | 上記以外で投資判断に著しい影響を及ぼすもの | 重大な不正の発覚など |
決定事実と発生事実には、投資判断への影響が小さいものを除く「軽微基準」があります。経理が最も関わる決算情報には、「重要基準」に当たる差異だけが重要事実になるという基準が府令で定められています。
決算情報の基準(有価証券の取引等の規制に関する内閣府令第51条)
| 項目 | 直近の予想値(なければ前期実績)との比較 | 追加の条件 |
|---|---|---|
| 売上高 | ±10%以上(1.1倍以上または0.9倍以下) | なし |
| 経常利益 | ±30%以上(1.3倍以上または0.7倍以下) | 差額が前期末の純資産額と資本金のいずれか大きい方の5%以上 |
| 純利益 | ±30%以上(1.3倍以上または0.7倍以下) | 差額が同じく2.5%以上 |
| 配当 | ±20%以上(1.2倍以上または0.8倍以下) | なし |
この基準は、個別の数値と連結(企業集団)の売上高等の両方に当てはめます。具体的な当てはめ方は社内の開示担当や法務と確認してください。
数値で見る当てはめの例
| ケース(仮の数値) | 計算 | 判定 |
|---|---|---|
| 売上高予想 100億円 → 110億円 | 110÷100=1.1倍 | 基準に該当 |
| 経常利益予想 10億円 → 13億円(前期末純資産50億円・資本金10億円) | 1.3倍、差額3億÷50億=6% | 基準に該当 |
| 純利益予想 6億円 → 4億円(同上) | 約0.67倍、差額2億÷50億=4% | 基準に該当 |
| 配当予想 50円 → 45円 | 0.9倍 | 基準に該当しない |
四半期の数字や基準未満の差異でも油断しない
日本取引所自主規制法人のFAQでは、四半期の数値から通期予想の修正が読み取れる場合は、決算情報を知ったと判断される場合があるとしています。また、基準未満でもバスケット条項に当たる可能性は残ります。決算の途中経過の数字も「重要事実の候補」として扱いましょう。


インサイダー取引の「公表」とは?TDnetと12時間ルール


重要事実を知った人は、「公表」がされた後でなければ売買できません。公表の方法は法令で決まっています。
| 公表の方法 | 公表されたとみなす時点 |
|---|---|
| 証券取引所への通知とTDnetでの公衆縦覧(適時開示) | TDnetに掲載された時点 |
| 2以上の報道機関への公開 | 公開した時から12時間経過した時点 |
| 有価証券報告書などの法定開示書類への記載 | 書類が公衆縦覧に供された時点 |
上場会社の決算発表は、通常、TDnetの適時開示で公表します。たとえば15時にTDnetに決算短信が掲載されれば、その時点で公表です。一方、報道機関への公開だけで公表する場合は、15時に公開しても翌日の3時まで公表になりません。
決算発表の日時は事前に社内で共有されます。発表の時刻まではインサイダー取引規制がかかっていると意識しておきましょう。
スクープ記事が出ても「公表」ではない
新聞のスクープ記事などで情報が広まっても、法令上の公表には当たらず、会社関係者の規制は解除されません。また、公表直後の役員などの売買は、一般投資家との公平性の観点から配慮するよう東証が要請しています。
「ニュースで出たからもう大丈夫」は通用しません。自社のTDnet開示を確認するのが基本です。


決算期に経理担当者が守る社内ルール|売買禁止期間と事前届出


法律上は、決算発表の前後に売買してはいけないという決まりはありません。それでも多くの上場会社は、社内規程で決算期の売買禁止期間を設けています。
- 売買禁止期間:例として、決算期末日の翌日から決算発表日の翌日までなど。期間は会社によって異なります
- 事前届出・承認:自社株を売買する前に、管理部署へ届け出て承認を受ける
- 売買後の報告:売買の結果を管理部署へ報告し、記録を残す
- 対象者の指定:決算情報に触れる部署・担当者を重要事実に接する者として指定する
なお、IR部門などが決算発表前に投資家との対話を控える「沈黙期間」は、売買のルールとは別のものです。
持株会の扱い
従業員持株会で毎月一定額を買い付ける場合は、一定の計画に従い、個別の投資判断に基づかず継続的に行われ、1回あたりの拠出金額が200万円未満であれば適用除外です(府令第59条)。ただし、重要事実を知りながらの新規加入や拠出額の増額は規制の対象になります。持株会から引き出した株式の売却も適用除外ではありません。インサイダー取引の疑いを避けるため、決算期の持株会の設定変更は社内規程で制限している会社もあります。
社内ルール違反と法令違反は別物
売買禁止期間中の売買は、それだけで法令違反になるわけではありません。逆に、禁止期間外でも未公表の重要事実を知っていれば法令違反です。最終的には「重要事実を知っているか」で判断し、迷ったら管理部署に確認しましょう。
決算期のインサイダー対策の流れ
決算数値や業績予想の修正に触れる人を洗い出し、社外の関係者も含めてリスト化します。
決算期末の前後に、売買禁止期間の開始日と対象者を社内に通知します。
ファイルの保存先・アクセス権・印刷物を管理し、関係者以外に情報が広がらないようにします。
決算短信や業績予想の修正をTDnetで開示し、公表の日時を記録します。
公表後に売買禁止期間の解除を通知し、関係者リストと届出の記録を保存します。
関係者リストは、監査法人やベンダーなど社外の人も含めて作るのがポイントです。
決算情報の管理の実務|ファイル・外部・家族・SNS


インサイダー取引の防止は、決算情報を「知る人を増やさない」ことから始まります。経理で確認したい場面は次のとおりです。
| 場面 | 注意すること |
|---|---|
| ファイル | 決算資料の保存先を限定し、アクセス権を関係者だけにする |
| メール・チャット | 宛先と共有範囲を確認し、全社チャンネルで決算数値を話さない |
| 会議室・印刷物 | ホワイトボードを消し、印刷物は放置せず回収・裁断する |
| 在宅勤務・カフェ | 画面ののぞき見と通話の内容に注意する |
| 監査法人・印刷会社・ベンダー | 共有範囲を必要最小限にし、秘密保持契約と共有記録を残す |
| 会計システム | 業績予想や決算数値を扱う権限を定期的に棚卸しする |
社外の関係者も、契約の締結や履行に関して重要事実を知れば規制の対象です。データの受け渡し方法や共有フォルダの権限は、決算前に見直しておきましょう。
家族・友人への一言とSNSが一番危ない
「今期は業績がいいみたい」という一言でも、伝えられた家族や友人は第一次情報受領者になり得ます。決算の忙しさをSNSに書く場合も、業績を推測させる表現は避けましょう。退職するときは、在職中に知った未公表の情報が退職後1年は規制対象になることも確認しておきます。


経理で起きやすいケースと社内体制


どのケースも「少しくらいなら」という油断から起きます。インサイダー取引は、知ってしまった時点で売買を止めるのが鉄則です。
決算期に起きやすいケースを整理しました。判断はあくまで一般論で、実際は事実関係によって変わります。
| ケース | 問題になり得る点 |
|---|---|
| 業績予想の上方修正を知った後に自社株を買う | 決算情報を知った会社関係者の売買 |
| 下方修正の前に家族へ「今は売った方がいい」と話す | 情報伝達・取引推奨(第167条の2) |
| 持株会の拠出額を修正発表前に増やす | 適用除外にならない買付け |
| 取引先の未公表の大型受注を知り、取引先の株を買う | 取引先の重要事実を知った契約先としての売買 |
| 退職から半年後、在職中に知った未公表の情報で売買 | 退職後1年以内の元会社関係者 |
取引先の株式も対象になる点は見落としがちです。自社株だけでなく、仕事で知った他社の未公表情報にも注意しましょう。
社内体制の整備
| 体制 | 内容 |
|---|---|
| インサイダー取引防止規程 | 対象者、売買禁止期間、事前届出、違反時の対応を定める |
| 情報管理責任者 | 重要事実の管理と、売買の届出窓口を一元化する |
| 研修 | 決算期前などに、具体的なケースで定期的に研修する |
| J-IRISS | 日本証券業協会が運営する役員情報の登録システム。証券会社が内部者の売買の確認に活用する |
決算期のインサイダー対策チェックリスト
- 決算情報に触れる人のリストを作成したか
- 売買禁止期間の開始日と対象者を周知したか
- 決算資料の保存先とアクセス権を限定したか
- 監査法人・印刷会社・ベンダーとの共有範囲を確認したか
- TDnetでの公表日時を記録したか
- 公表後に売買禁止期間の解除を通知したか
迷ったら売買しない、話さない。これが一番確実なインサイダー対策です。
まとめ
- インサイダー取引は、会社関係者が重要事実を知って公表前に売買することで、退職後1年以内の人や第一次情報受領者も対象
- 個人は5年以下の拘禁刑もしくは500万円以下の罰金またはその併科、法人は5億円以下の罰金。課徴金もある
- 決算情報は売上高±10%、経常利益・純利益±30%(純資産等の基準あり)、配当±20%が目安
- 公表はTDnetでの開示などで、スクープ記事は公表に当たらない
- 売買禁止期間・事前届出・情報管理・研修を、社内規程として運用する
まずは自社のインサイダー取引防止規程を読み、決算期の売買禁止期間と届出の手順を確認するところから始めてみてください。
決算を正しく作ることと、決算情報を守ること。どちらも経理の大切な仕事です。







